Dat more strage
へいへい平成、Ray 令和。
真野芥です。
今の私はこう、なんというか。
ねるねるねるねを練らずに粉を飲むような
そんな気分です。
久々の更新、やべぇやべぇとか思いながら
ふとヤフーニュースで"にしおかすみこのコラム"に目をやった。みんな見ました?
流石、落語界に足を入れただけある文才。続きが気になって一気に読んでしまった。
ぽんこつ家族次回の更新は10/20らしいので皆様も是非。
ということで、
物販の話もつまんないし、告知もつまんないしって下書きに書き溜めていたので。
ちょっとだけ余談でも綴って気を紛らわせようと思います。
「真野芥」これほどまでに薄っぺらく語らうだけで板につきそうな名にしたネーミングセンスは手前味噌ながら感服している。
真野芥いいよね。って言えば良い的な風潮は少し前からあって。なんでこんなに悪く言うかって私の元へは何もきてない。AとBの会話を成立するためのツナギでしかないことが多いから。
じゃあ、良いよねって言うAはどれだけ真野芥を語れるのだろう。どれだけ興味を持ってくれているのだろう?そう言うことを考える時間を与えるくらい距離の近いこの界隈。
それ故に、側文化の中で孤立を図るようになってしまった。君は知ってるかい?真野芥は録音が下手でmixが下手だけど、今回のmc「何者/誰彼」はだいぶ聞きやすくなってるって。色んな部分でちゃんと進化をしてるんだよって。
まぁ、そもそも真野芥は売れようとか、メジャーデビューなんて考えてない人間だったはずなのだ。
深夜に物好きが集まり、話をポロポロと漏らしながら好きな歌を歌う。聞いてくれる人が増えてきたら、今度はその人の話を聞きながら、その人の好きな歌を聞いたり歌ったりする。多分原点はそんな感じ。言うなれば私の人生における箸休めの場所だった。
そんな中想像よりも熱の入った音楽欲と、褒められる中で付かない数の現実に交差した承認欲求が私を次のステージに駆り立てた。
それが今の歌い手LIVE
正直、"界隈"と言う言葉は区別化ないし話す上で便利なので使っているが、"私は歌い手界隈です"なんて思ったことはない。ただ歌が好きなだけの人。だからメン地下文化が流れ込んできた昨今の"歌い手"として売れるためのファンサやチェキへの対応も疎いし、歌い手として売れたい!って希望は弱いから"売れたいなら毎日Twitterやりましょう!"みたいなのも、なんだかなぁって感じで見ている。
ちなみに、前述した文章は"歌い手"を揶揄する物ではなく、それをできない自分への皮肉が大半なので悪く思わないで欲しい。
ちなみに歌い手ライブでめちゃくちゃ、はちゃめちゃに楽しんでいる。
今回ライブでmc(音源)を販売したことで、レスポンスの一つとしてある推し名だったり、取り置きだったり、ツイートへのリプ、動画の再生数以外に、音源の売り上げが明確に出た。
別にこれは購入を強要しているわけではない。何故なら実際に真野芥リスナーでも別に真野芥のオリジナル曲に興味ない人間だっている。
"天才ごっこ"が好きなだけで、作る曲には興味ないとか、"古代魚"が好きだけど、"玉響、惚れ水葬。"はあんまり好きじゃないとか。
それは良い。それで良い。
別に私の音楽に興味を持つ必要は無い。
はぁ〜歌ってみた上げて、歌い手だけど曲かけますの方がきっとカッコ良いんだろうな〜って思うし、そうするか〜とか
色々考える機会が増えるので、ありがたい。
これは明確な皮肉。
だから真野芥も変わろうと思う。
「真野芥といえば」を払拭していく。
下ネタ言わないとか、真面目とか、言葉遣いが綺麗とかうるせぇ。「知らないお前がそれを語るな。」これは"毒白"のワンフレーズ
もっともっと私が楽しい場所にしていく
辛口で意見も言うし、誰かと口論だって必要とあらばする。
ただもう"この界隈をよくする"なんて言わない。
私は私の庭を作る。
そこに来る人が一人でも多くなれば良いなって思うし、そう出来るように音楽も人付き合いも頑張っていく。
そんなお話。
お後はあんまりよろしくない。
真野芥