真野芥の独白。

誤解ですってば。

無力

 

 

例えば、駅の改札前。

お金がなくて帰れない男の子。

 

私がその子の面倒を見る義理はないけど

私のお金を目の前の男の子にあげたら

その男の子は電車に乗れる。

きっと感謝してくれる。

 

ただ、向こうの信号でそれをみている女の子は私のことを嫌うかもしれない。

 

この世の中は天秤だとして

 

幸せと不幸が釣り合っている。

時間もお金も気持ちも全部

無限なんてことはない

 

だから私は今まで

自分のわがままで良いから目の前の人を救いたいと思って生きていた。

頑張って手を伸ばして

愚直に生きてきた。

 

それは同時に誰かを傷つけてしまうこともある。

 

気づけば、真野芥は

"自分の感情で動いてはいけない"みたいに

自分の中での真野芥という縛りの1つになっていた。

 

とある人の言葉

“常識とはおよそ18歳までに集めた偏見のコレクションだ"(解釈による差異あり)

 

その言葉は思いの外、思い当たる節があった。

 

 

こんな人柄だからか、昔はよく恋愛相談とか人生相談されてたんだけど。いわゆる女の子の共感心理にそぐわぬ回答ばっかりで、悩んでないで最善策一緒に考えてあげるマンだった。

 

答え探したきゃ来て?話聞いて欲しいだけなら私に聞くの間違ってるよ。って良く言ってました。多分、今も変わってなくて

私にできることを私はする。

だから多分近い人の方が助ける。

手が届くから。

 

そんなことを考えて過ごしていたのに

気づいたら目の前の一人の女の子の声すら

まるで聞かなかったふりをしているようで

 

すごく辛かった。

 

私は無力だ。

 

 

だから、向こうの信号で私をみている女の子にもこの手を伸ばせるよう

人としても、活動者としても。

 

もっと強くなるね。