夏泥棒。
結局憧れのいい部分しか見てなかったから、いや、都合の良い解釈をし続けた結果なのだろう。その時はすぐにきた。
「やっぱり...別れよっか」
初夏に私の心を奪った彼女との関係は冬、雪と一緒に溶けてしまった。
一年前のことを今でもハッキリ思い出せる。人は本当にショックだと言葉にならないとか、固まるとか言うが、そんなもんじゃなかった。
多分一瞬、それでも体感で言うと数秒あったんじゃないかと思える長さ、頭が真っ白になった。言葉も思考も全部通り抜けては理解が追いつかなくなる。
どんなに大切にしまった記憶でも、時間と共に彼女の顔は薄れていき、いつからか思い出そうという行為に変わり、いつしか思い出せなくなっていく。
「少し肌寒くなってきたな」
また夏の死んでいく匂いがした。
もし本当に誰しも自分が物語の主人公ならば、僕は人生という美化された本に、栞を差して何度も思い出してしまうだろう。
でも、どれだけ大切にしまって、一年もの間、何度も何度も思い出し思い出そうとしたそのページは段々と薄れて、今では脳内で補完してやっと形になる程度になってしまった。
「人は生きる為に忘れるという術を得た」なんて、どこかの偉い人が有難い言葉をくれたけど、じゃあこの悲しみはなんで消えてくれないのだろうか。もう君の顔も思い出せないのに。
もし、忘れるということで、悲しみを乗り越えていけるなら、明日を踏み出す一歩になるなら。必死に原寸大の君を追いかけるのをやめてしまおうと思う。
ーーーそして彼は薄れたページに言葉を書き足し、丁寧に本を閉じた。
夏泥棒/真野芥